今年もやって来ましたYAPC::Asia。
まだ、一日目(前夜祭を入れると二日目?)の午前が終わったところなんだけど、KeynoteのJesse Vincentのトークを聴いて、Twitterで書き足りなかったところを書いとこうかと。
実は、この話は事前にOSCON 2011のスライドを見ていたので知っていた。
でも、実際にJesseのトークを直に聴くと、Perl5を良くしたい!という情熱がひしひしと伝わってくる。
非常に大雑把に言ってしまうと、「Perl5をこれからも進化させ続けていくために、Perl5のコアを小さくしよう、過去の遺物を捨てられるようにしよう」、そういう方向に舵を切ったんだという話。
でも、それをやりつつも、今動いているPerlプログラムは(可能な限り)動き続けるよう互換性を保つための提案をしている。
とても野心的な話だ。(どんな方法を提案しているのかは、上のスライドを参照)
個人的には、未来に向かって変わり続けようとする、この話には心から賛同している。
一方で、この方向に舵を切ることで、Perl5が俺が大好きだったPerlではなくなってしまうのかもしれないなぁ…という一種の寂しさもよぎった。
俺が大好きだったPerlというのは、つまり、なんでもござれの全部入りアーミーナイフなPerlのことだ。
「Perlが使えれば、なんとかなる!」
そんな妙な安心感をくれるPerlのことだ。
一方で、コアを小さくして拡張はモジュールでやる方向性でいくと、その極限の解はSchemeだ。
Schemeの世界は素直に綺麗だと思えるけど、俺の好きな世界ではなかった。
やっぱり俺は、病的折衷主義者なのだね!
Jesseはアーミーナイフともチェーンソーとも表現していたけど、Jesseもこのチェーンソーが好きみたいだ。
だから、Schemeみたいになることはないと思う。
そんなことをしても、嬉しい人は少ないと思うし。
一方で、病的折衷主義と純粋主義とのバランスの狭間で、難しい舵取りをすることになると思う。
色々思うところはあるけれど、前に向かって変わり続けるというのには大賛成だ。
変わり続けることのみが、自分たちが自分たちで在り続けられるたった1つの方法だと思うから。
今はただ、そんな大それた決断をしたJesseとPerl Mongerたちを、自分なりにサポートできる方法ってなんだろう、とそれを考えている。