先週の今日、早朝に祖父が亡くなった。
享年94歳。一言で言えば、大往生というやつだ。
ちょうど一週間で良い区切りなので、こんなポストを今、空港で書いている。
歳も歳だし家族全員、"その時"がいつ来るのかと覚悟していたことではあるので、思いのほかショックはなかった。
実際、もしかしたら、海外にいっている間にいってしまうかもしれないとも思ったかったからこそ、その前の土曜にわざわざ帰省して顔を見に行ったのだ。
その時は、歳が越せるかな、とは思っていた。
それがまさか、火曜に呼び戻されることになろうとは、想像もしていなかった。
今回の死に際して、ひとつわかるようになったことがある。
近年は、亡くなった家族の遺体を放置したまま同じ屋根の下で暮らしていたとか、曰く「どうすればいいかわからなかったから放っておいた」とか、想像を絶する事件がニュースになったりしていたが、その気持ちが少しだけわかったような気がするのだ。
幸いなことに祖父は本当に眠るように亡くなった。
死に顔を見ていると、ゆったり寝ているだけのようにも見えた。その内、また起きるんじゃないか、というくらい幸せそうな顔だ。
そんな顔を見ていたら、ふっと、このままそっとしておいてあげたらいいんじゃないか、という思いすら過ぎった。
もしかしたら、事件になっていた家族も、最初はそんな気持ちだったのかもしれない。
そう考えると、何も想像を絶するニュースではなくて、少しだけ優しい話なのかもしれないと思った。
でも、実際にはそんな悠長なことはいってられない。
亡くなってすぐに親戚の人達が大勢やってきて(なにせ実家は田舎なので)、葬儀社の人がやってきて、やれ通夜と告別式の日取りはどうだの、納棺だの出棺だの、どんどん進んでいって、あっという間にお爺ちゃんは小さなお骨になって帰ってきた。
本当に、色々な人達の力があって、お式を終えることができたんだと思う。
もしかしたら、家族の死というのは、家族だけで乗り切るには切なすぎるものなのかもしれないね。
それを親戚やら近所の人達やらが、よってたかって、明日に向かって押し出してくれる。
本当にありがたい話だ。
これから米国に発つけど、次に帰国するときは四十九日です。
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